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弱みを克服しない勉強法が働き方にも影響する?|和田秀樹先生 対談インタビュー

「和田式勉強法」の和田先生とコデアル愛宕の対談インタビュー。

<和田 秀樹 プロフィール>
1960年大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒業。
東京大学医学部付属病院精神神経科、老人科、神経内科にて研修、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデント、東京大学医学部付属病院精神神経科助手、アメリカ、カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、高齢者専門の総合病院である浴風会病院の精神科を経て、現在、国際医療福祉大学赤坂心理学科教授、川崎幸病院精神科顧問、一橋大学経済学部非常勤講師、東京医科歯科大学非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック(アンチエイジングとエグゼクティブカウンセリングに特化したクリニック)院長。
1987年の『受験は要領』がベストセラーになって以来、大学受験の世界のオーソリティとしても知られ、代表を務める緑鐡受験指導ゼミナールは毎年無名校から東大合格者を出し、話題となっている。
2007年12月劇映画初監督作品『受験のシンデレラ』でモナコ国際映画祭最優秀作品賞受賞、2013年12月には第二回監督作品『「わたし」の人生』(介護離職をあつかった人間ドラマ、秋吉久美子、橋爪功がモナコ国際映画祭で主演女優賞、主演男優賞を受賞し、自らも人道的作品監督賞受賞。その後も、レイプ被害者のその後の苦悩を扱った『私は絶対許さない』でノイダ国際映画祭とニース国際映画祭で受賞、『神の雫』の樹林伸原作のワイン映画『東京ワイン会ピープル』でモナコ国際映画祭で2冠受賞など映画監督としても国際的に評価が高い。
<愛宕 翔太 プロフィール>
働くをもっと自由に。即戦力IT人材採用のプラットフォーム「CODEAL( http://codeal.work )」運営。Twitter( @shotaatago )・ブログ( https://note.mu/shotar )

 

コデアル代表の愛宕が、東大受験に合格した理由のひとつに「和田式勉強法」がありました。和田秀樹さんが考案された「和田式勉強法」は、受験だけでなく社会に出てからの「働き方」や「学び方」に関係することをお話いただきました。

東大生、東大卒にみる主に2つのタイプにわかれる学び方とは?

愛宕)大学受験前は勉強法にとても悩んでいました。和田さん著書の「数学は暗記だ」や「受験は要領」を、かなり参考にさせてもらって「受験のシンデレラ」の主人公と同じ、東大文2に合格しました。元々は数学が苦手で、東大は文系であっても数学が受験科目としてあるから無理じゃないかと思っていたのですが、「和田式勉強法」のやり方を当時たまたま知ったおかげで合格でき、和田さんに感謝しています。

和田)ありがとうございます。

愛宕)勉強ができないのではなく、やり方があっていないだけで一人ひとりの子どもに合わせた「自信」のつけ方を書かれている著書の「受験で子どもを伸ばす親、つぶす親」も拝見しました。そこで、和田さんも東大を卒業されているので伺いたいのですが、東大生、東大卒の人の「学び方」は主に
(1)勉強法を工夫して自分で学ぶ
(2)塾もしくは学校で学ぶ
2つのタイプにわかれると言われてますよね。もともとの人の性質でどちらかに分かれるということなのでしょうか?それとも後天的に変化するものでしょうか?

和田)そうですね、むずかしいですよね。もちろん、もとの性格にもよります。生まれついて真面目な性格だったり、親に従順で小さい頃から親に「勉強しなさい」と言われて逆らわずに勉強している場合もある。成績が良いと勉強が好きになるようにできているから、そのまま、親や塾の先生の言うことを疑わずに勉強が出来る子になる。その流れで、学校やクラスで一番だったり、中学受験で東大に合格する人が比較的多い学校に入学するなど、運もあるかもしれないけど、言われたとおりにしてたら東大に入学できたというケースもある。
ただ、もとの性格で勉強が好きだったり、親や先生の言うことを聞いて勉強してきた人を除けば、勉強がイヤだなと感じながら勉強してる人が多いんじゃないかな。それでも、塾でうなるほどの宿題をこなしながら、我慢して勉強したら東大に入学できたという場合もある。

愛宕)なるほど。

和田)我慢して勉強してきた人自身は、先天的にではなく後天的だけど、結果的に親や塾の先生の言いなりになる「学び方」になっていますよね

愛宕)いまのお話だと「塾もしくは学校でしっかり学ぶ 」例ということですね。

和田)はい。あとは環境要因として、親や学校が厳しいというのもあると思いますね。

愛宕)なるほど。自分の話をすると、僕の尊敬する父親は中卒なんです。たから、受験の勉強法や、大学を卒業したら就活するフローなど、親自身に経験がない状態では授けようがないですよね。ふりかえると僕は「和田式勉強法」を駆使して、自分で学んできたんだなと思いました。例えば、真似できる対象の親や、和田さんのように「灘高」のような進学校だと、周りにいる出来る人のやり方を真似しやすかったりもすると思うのですがどうでしょうか。

和田)そうですね。親から教えてもらうだけでは、親以上の学歴にはならないだろうし、僕も「灘高」で、周りに真似できる対象が多かったのはラッキーでしたね。僕は親が東大卒でないのに、周りのやり方を盗んで東大に横入りしたような感覚を自分自身が持っていて、横入りした要領を「受験は要領」の本で書いたんですよね。

答えを見ていい?勉強も仕事もやり方は無限大!

和田)例えば、自分で勉強法を工夫して東大に入学した人と、親や先生の言いなりになって東大に入学した人だと、子供に対する接し方も違ってくると思うんですよ。つまり、たくさん勉強する中で、言いなりになって勉強して親になった人は、同じように子供に対して勉強を押し付ける可能性がある。だから、勉強していない子供を見るとイライラしたり、あるいは、真面目にやらないと何をサボっているんだと感じたりすることってあると思うんですよ。

一方、自分で勉強法を工夫してきた人の場合、子供が何かの科目が苦手だったり嫌いな勉強があった時に、嫌だったらやらなくていいから、他で点を取れば東大に入れるから…とアドバイスができると思うんですよね。数学の問題が解けなかった時に、いくら考えてもわからないなら「答え」を見てそのやり方を覚えてから考えたらいいと言える。結局、地頭が良くて言われたとおり従順に勉強して東大に受かればラッキーだけど、そうでない場合、勉強にコンプレックスを感じてしまったり、学ぶことが嫌いになりかねないから、危ないんじゃないかという気がしますね。

愛宕)いまのお話、勉強することって、仕事に置き換えると近い話があると思っていて、勉強できたら好きになるのもありますが、僕が東大に入学した理由は、好きな女の子が東大受かったら付き合ってくれると約束を取り付けたからという理由でした。今振り返るととても恥ずかしい話ですが、当時入れれば、東大の学部もどこでもいいと思ってました(笑)

ただ、点数が取れると自信がつくし、勉強が好きになることもあると思います。「勉強をやらされる」のと「仕事をやらされる」ことってすごく似ていると思っていて、今は、コデアル株式会社で、まだまだですが、経営者という役割をやらせてもらっていますが、どんな感じの人が楽しく働いて成果も挙げているかみていると、「勉強法を工夫して自分で学ぶ人」なんですよね。「和田式勉強法」でいうと最低限の点数を取れたら受験に合格する。例えば、数学が苦手だったら、国語で点をとれたらいいと、和田さんは戦略的に提案をされてますよね。

和田)そうですね。

知識は考えるための材料!工夫できると学ぶことも楽しめる

愛宕)仕事に置き換えると、重要なKPIを置く時に、売上をつくるためにいくつかの変数があって、商談数など置くことになりますが、数字を決めた後のやり方は無限大で、電話で商談を取り付けるでもいいし、友達から紹介してもらうでもいい。そう思えるのも、これまで勉強法を工夫して自分で学んでいたからだと思うんですよね。受験の場合は、何か持ち込んでテストを受けるわけにはいかないですし、自分で覚えたことで問題を解かないといけないですが、社会に出たら、どんな場面でも学べて、そこらじゅうに解答がありますよね。

和田)おっしゃるとおりですね。

愛宕)目標を数字で捉えて、どうやって出来るかいろんな手法を考えていける人は、勉強法を工夫して自分で学んでいる人だと感じるので、そういう人は楽しんで仕事をしてるという感覚がありますね。

和田)親や塾の先生の言いなりになって勉強していた人は、上から言われた仕事はできるけど、自分で考えることが少ないだろうし、例えば、営業で成果が上がらなければ「100件アタックしてたところを200件にしよう」「残業しよう」 みたいな根性主義になってしまう。

愛宕)そうなんですよ。僕も、勉強時間を少しでも短くしたかったし、何でこんな勉強しないといけないのって(笑)和田さんは、映画が観たかったからかもしれませんが

和田)そうですね。当時はビデオが無くて映画館に行かないといけなかったから、時間をつくらないといけないわけですよ。例えば、数学が出来るようになるまで3〜4時間かけて、将棋の難しい次の手を考えるかのように取り組んでも、長い時間考えたところで出来ないものは出来ないし、出来るようになる確率は極めて低いんですよね。だから、当たり前ですが、答えを見て解答のパターンが増えていけば、だんだん数学がとっつきやすくなる。その解答のパターンを増やす段階で、わざわざ自力で考える必要はないんですよ。

愛宕)たしかに。僕は、祖父が囲碁をやってたことで小さいころから相手をさせられていたので、囲碁をしてたんですが、囲碁って打ち方の模範になる「定石」というのを覚えなければならなくて、先人たちが実戦の中で導き出しているから、考えても意味がない一手もあるんですよね。和田式勉強法の「数学は暗記だ」を読んだ時に、囲碁の定石のドリルに似てるなと感じたんですよ。

和田)おっしゃるとおりです。囲碁でも将棋でも思いつきではなく、将棋なら実戦に出る前段階で大量の棋譜を覚えてシュミレーションして一番いい一手を選んでいるわけです。だから、数学を自力で考えるよう「公式と定理以外を覚える必要はない」と言っている人は、将棋でいうとコマの動かし方だけ教えて、あとは自力で考えろと言っているのと同じ。それでは、自分より上の有段者に勝てるわけないですよね。数学なら解答を多く覚えていれば、考えられる材料が沢山あるわけです。勘違いしやすいのは勉強っていうのは、覚えた内容がそのまま社会に出て使えるのかというと、そうではなく、よっぽどのことがない限りそういうことはなくて。

愛宕)知識だけでいうとGoogleで調べたら、だいたい答えが出てきますしね(笑)

和田)そうなんです。本来、知識は考えるための材料であって、数学も公式と定理だけでなく解法(公式や定理の使い方)まで覚えておけば、ある問題に出会った時に方針がたつじゃないですか。社会に出ても自分が経験したことや、いろいろな書籍で読んだことを材料にするでしょ。そのとおりに行くとは限らないわけで、そこから応用が始まるわけです。全くのド素人で何にも知らなければ、考えようがないところはあると思いますね。

愛宕)そうですね。あとは知識もそうなんですけど、受験勉強というプロセスを通じで学んだことは何か言語化してみると、因数分解の力だと感じています。最低点に対して、どれだけ何をやるべきか割り振っていく。それをいつまでに、どの参考書を通じて学んでいくかを考える。会社で言えば、売上目標のKGIに対して、商談数、受注率、継続率というような変数に分解できる。その変数を実現するために、何をいつまでにどのように実行していくのか。自分だけの受験計画とは違って、会社はチームで取り組む必要がありますが、最低点を取るための因数分解は、すごく役に立っていると感じています。

能力の問題じゃない。やり方さえ工夫すれば成果が出る!

和田)どうやって最低点にとどくかを考えるわけですよね。僕の言う受験勉強において考える力というのは、目の前にある数学の問題を考える力ではなくて、それができなくてもどうやったら受かるか考える力なんですよね。それで何が目標だから、何をやらなくてよくて、何をやらなきゃいけないのかを割り振らないといけないし、自分の能力特性だって分析しないといけないわけです。

愛宕)そうなんですよね、僕は数学が弱いから、それを英語の点数分でカバーしました。

和田)そういった配分がちゃんと出来ないと、自分の能力特性に合わないことを無理にやってもね。塾や学校の先生の言いなりになって無理に勉強してたことで勉強が嫌いになっちゃったり。自分のやりかたを変えれば東大に入れるかもしれないのに、頭が悪いとか勝手に思い込んじゃったりするわけです。

愛宕)勉強することが目的になってしまって、自分はこうだからと決めつけてしまうんですね。

和田)自分の頭が悪いと決めつけてしまうのは悲劇じゃないですか。そう思い込んでしまうといろいろとチャレンジできなくなっちゃう。僕はやり方さえ工夫すれば何とかなるかもと思っている人の方が、前向きに生きられると思うんですよ。

愛宕)その考え方、好きです。素敵ですね。

和田)僕はやり方さえ工夫すれば何とかなることを、高校生くらいの時に身につけるツールが受験勉強だと思っていて。だから、受験勉強を否定的に捉えて、子供に押し付けてかわいそうだという人もいますが、悪い受験勉強のしかたで学ぶのがかわいそうであって、やり方を変えたら点数が取れる体験をすることが幸せなことだと僕は思うわけです。

愛宕)やり方を変えれば成果って出るんだと、能力の問題じゃないと受験当時、思いました。

和田)それって生き方に影響するじゃないですか。学校の先生は社会経験がなく勉強を教えるから、やり方を工夫して学ぶことを教えられる先生も、それが社会に出たときにどう役立つかを教えられる先生は少なくて、塾の先生であれば、社会経験がある人もいたりして面白いかもしれないですが、学校にはなかなかいない。田舎にいればいるほど、やり方を工夫して真似できるひとが周りに少なかったりしますし。

愛宕)長崎の高校を卒業して、1年浪人しちゃいましたが、当時「お前には無理。この成績で東大に行けるわけがない」と否定された学校の先生の言うことはあえて聞かなかったですね。ただ、その先生のおかげでやる気が出たのもあり、逆に今は感謝しています。

人にはそれぞれ取り柄がある!まずは良い見本を真似するところから

和田)褒めたほうがいいに決まっているのに否定したりね。社会経験なく学校の先生になる構造自体がおかしいかもしれない。クラスに40人生徒がいたら、それぞれに取り柄があるわけじゃないですか。いいところを見つけた方がいいのに、ダメところを見つけて言うなんて。要するにやる気を出させたり、点数を上げる方法論を持ってないわけですよね。

愛宕)なるほど。

和田)僕も医者になって感じたことですけど、悪い見本になるような人に教わっても良い医者にはなれないんですよ。だから、誰かに弟子入りするなら、出来る人に弟子入りした方がいいと僕は思うわけです。

愛宕)受験の勉強法は和田さんの書籍を通じて学べましたが、コデアル株式会社を経営してても、僕だけのやり方だけだと引き出しが少なすぎるし、大学卒業してあまり日をあけずして起業したので、正直わからないコトが多くて(今もですけど)。だから、有名企業で活躍している人と一緒に仕事させてもらったりしつつ、いつも学ばせて頂いています。

和田)それって実は賢いやり方で、例えば有名企業のエースと同様に入社して知識や経験を得るには相応の時間がかかってしまうけど、起業したての若者なら教えてもらいやすい。

愛宕)まさに、そうやって教えてもらってきました。これからも学ぶべきことがたくさんあると思っています。まだまだわからないことしかありません。

和田)例えば「受験は要領」の本で、いかに時間と力を使わないで学ぶかというと、手抜きだと言われることもあるんですが、時間と力を使わないで成果を出せるようにならないと、精神面における健康といわれている「メンタルヘルス」にだって悪いわけです。

愛宕)東大受験で1年浪人する前は、模試受けてもE判定で偏差値50あるかないかくらいでした。1年という時間制約もあり、時間がないという感覚でした。起業すると、同じように時間がないという感覚と、人とお金と経験値すべて少ない状態で始めることになりますが、少ない手持ちの武器で、なにかを形にするためには、どこに集中するかが勝負だと思います。

苦しんでやらない。向き不向きにあわせた仕事のしかた

和田)最小限の時間とどこに集中するか、コストパフォーマンスをちゃんと考えようという話で、スポーツの世界では、コスパの悪い練習法は淘汰されて、子供にうさぎ跳びさせたり、水を飲まずに走らせるみたいなことはなくなった。そういう根性論のようなことでスポーツが出来るようになるという思い込みでしかなくて。苦しんで良いパフォーマンスが出せるかというと、どんな世界でも僕は出せないと思うんですよね。

愛宕)むしろ苦しむことでパフォーマンスは落ちますよね。寝ないで勉強しているようなものだから

和田)苦しんでやることがパフォーマンスに影響するという当たり前の発想がなくて。今の医学の世界でいうと、例えば、血圧が高い患者さんに、血圧の薬を飲んでお酒も辞めて塩分を控えるように言うわけだけど、そうじゃなくて、好きなものを食べてお酒も飲んで、どうやって長生きできるか?を考えるのが医者の仕事だと思うわけです。少なくとも好きなものを食べたり飲んだりすることを我慢するよりもメンタルは調子がいいわけです。

愛宕)投資の神様といわれるウォーレン・バフェットさんが、ハンバーガーとコークばかりを好んで食していても、偏食がダメっていわれると、そっちのほうがストレスになって投資に失敗するかもしれないですよね。

和田)好きなものを食べられることで判断力が良くなるわけです。糖分が足りてるときのほうが脳にはいいし、あるいは肉を取らないでセロトニン不足になってうつ状態になると判断力が落ちますが、偏った食生活だったとしても長生きしている場合もある。成功するには、成功者の真似をすることですよ。受験だったら受験の成功者。起業だったら起業の成功者の真似をして、そこからどうアレンジするかだけの話で。

愛宕)ただ人によってやり方が全然ちがうなと思っていて、勉強法を工夫して自分を客観視して、自分の強みと弱みを見つめて、良いものを選ぶことかと。

和田)おっしゃるとおりですね。自分のパーソナリティや能力特性があるから誰の真似をするのが向いているのかも変わりますね。それぞれの向き不向きにあわせて仕事をやっていかないといけないと思うんですよね。

出来ないことを素直に認めて他でどうするか。自己認識と他者認識のズレをなくして分業する

愛宕)クラスの中でも勉強ができたり、運動ができたり、色々な人がいるじゃないですか。職場も一緒だと思っていて「コデアルクラス(役割の基準)」というのをみんなで発明したんです。どういうことかというと、人それぞれ得意なことがちがうように、自分の強みにフォーカスして、弱みは改善するというよりも見つめて知ることで、たりない部分は強みで埋めたらいいという考えで。働く際に、強みと弱みについて自己認識と他者認識のズレを仕事をする上でなくしていこうと。

「コデアルクラス(役割の基準)」では、自分の仕事がどこまでの範疇で出来ているのかを、まずは本人に客観視してもらう仕組みなんです。親や先生、職場でいうと上司から出来る出来ないを言われるよりも、自分でどこまで役割を担えているのか認識することで主体的であれるし、勉強法を工夫して自分で学ぶ人になると思って提案しています。

和田)おっしゃるとおりだと思いますよ。出来ないことを知って出来るようにもがくのではなく、出来ないことを素直に認めて他でどうするかを考えることが大事だと思いますね。出来ないのに出来るようになるはずだと思い込んでしまう方がマズいですよね。

愛宕)そうなんですよね。

和田)学校の頃は成績というはっきりとしたものがあるから、わかりやすいですけど、例えば、営業ができないのに自分は出来てるはずだと思いこむとか

愛宕)自己認識と他者認識が大きくズレているとそうなるように思います。僕自身、学生のころ、ベンチャー企業でプログラムを書く仕事をしていたのですが、正直あまり成果を出せていたとは思えません。いま一緒に仕事をさせて頂いているエンジニアのメンバーと、たとえ同じ時間をかけてアウトプットしたとしても、その成果は雲泥の差で、僕はローパフォーマーだと思います(笑)ただ、苦手を知るためにやってみることも大事だと思っていて、やってもないのに苦手を語るのは違うと思っています。やってみて本当にダメだなと気づけると。その上で、自分なりに自分を客観視するのは大事だと感じています。

和田)仮に能力が高い人がいたとしても、それを売ってくれる人がいなければ、その能力の高さが持ち腐れになる可能性だってありますし、そうやって強みを活かした分業をしないといけないのに、今の受験や学校のシステムは、何でも出来るようにとか苦手なものを減らしましょうというようなやり方にしているわけだから、それぞれの能力の高さをどう活かすか、どうやって苦手な部分を使わなくて済むかなど、当たり前の工夫を教えられていないわけですよね。

人事のひと必見?! 採用で選考する際の見極めとは?

和田)もし会社の人事の人がいたとしたら、何を見たらいいか僕が言うとすると高校時代の成績と比べて受験して入った学校の偏差値が高い人。それって勉強を工夫したと言えるかもしれないから。大学での成績は日本の場合、勉強を工夫したというより教授の言うとおりに勉強した人がいい点を取るので、あてにならなくて。大学の最終学歴を見たとしても、どう成績が上がったかは見ないですよね。

愛宕)なるほど。

和田)日本の場合、大学の成績は悪くてもいいと思っていて、高校や大学で劣等生だったとしても、予想以上の大学に進学していたり、何かにチャレンジしていたり、ほかのことをやっていたために大学時代の成績は悪いほうが見込みがあると僕は思っていますね。

過去の学びが良かったと思える。どんなことでも裏技がある?

和田)人間の能力をどう活かすかをわかっている人は、別に受験の世界で勝つ必要はないんですよ。ただ、受験の場合は、わりと勝つ方程式が出来ているから、もし自分に取り柄が、まだ見えていないなら受験でなら僕が勝たせてあげると言えるかもしれない。

愛宕)かっこいいですね。いま会社を経営していて、統計的なアプローチだったり、機械学習など、数字を見ていく機会が徐々に増えてきているんですが、受験という機会を通じて、たまたま数学の勉強をしていたことが仕事で活きてきています。数学は弱みでしたが、過去やらざるを得なくてやっていたことでも、後々ふりかえってやっててよかったと思えてますね。

和田)そう、勉強はやってて損がない。

愛宕)特に英語と数学は、仕事上でやっててよかったと思える機会が増えていますね。

和田)僕もアメリカに留学した時、受験勉強の時に英語の読み書きできるようにしていたおかげで大量の文献を読みこなせたおかげで、日常会話の聞き取りが悪いのに講師の話が聞けたし。僕は結果が大事だと思っているから、いろんなやり方を否定する気はなくて、うまくいったならそれで良いと思っています。モチベーションや動機についての研究もしましたが、多くの研究者が外発的動機といってアメとムチがいいとか、内発的動機といって内なるものを引き出すのがいいとか、いろいろ言われてますけど人によってちがうんですよね。アメがないと出来ない人もいるし、自分がやる気がでないと行動しない人もいる。僕らのような精神科医の場合は、一人ひとりにあわせた診療ができないと良い精神科医にはなれないわけです。勉強法もモチベーションを上げる方法も自分のやり方を、他の人に押し付けなければいいわけです。

愛宕)押しつけは良くないですよね。仕事上でのモチベーションという点でいうと「心理学的経営」の中でも、個の尊重が言われていますし、人に対して一つの面だけみるのではなくて、あらゆる顔があるという複雑性を捉えて見なければいけない。人は、そんな単純にわかるものでもないと書かれていて、コデアルという人に関わるサービスを提供する上でも、改めて「個である」ことを感じているところですね。

和田)勉強でも仕事でも、どんなものにでも裏技があって、裏技がズルいという人もいますけど、裏技を見つけるのが賢いわけですよ。答えをどう出すかが大事なのであって、やり方にこだわりすぎると仕事がうまくいかない可能性がありますよね

人との出会い。強みと弱みを補完し合うチームという存在の大切さ

愛宕)社会に出てからは自分の弱みをまず見つめて、自分の弱みが逆に強みである人と働くことで、全てを自分で解決する必要はないし、その方がいいなと感じています。

和田)そのとおりで、経営者は人の特性を理解してそれに合わせた人の使い方がうまくできる人が出来る経営者だと思うんですよね。最近そういったことに気がつくようになったのも医者の世界でもチーム医療と言われていることもあって、スタッフとうまくできる人が結果がいいんですよね。僕が映画監督の仕事をする時もそうですけど、原案を脚本家に渡して良い脚本を書いてもらって、役者にいい演技をしてもらって、カメラマンにいいショットを撮ってもらって、音楽家にいい音楽を乗せてもらって、美術スタッフにいい背景をつくってもらって、すべて人の強みをかりて仕事をしている。結果論として監督のものになる。いい映画が撮れたら一番褒められるのは監督です。これからのご時世、自分ができない部分をいかに他の人に助けてもらえるかが、すごい大事だと思いますね。東大も、面白い人はたくさんいるし、そういう面白い人に出会うために東大に行くのもありかもしれないね。

愛宕)そうですね、東大の卒業生に寄付を募るプロジェクトを大学から予算をもらいながらやってたんですけど、当時一緒にそのプロジェクトをやってた友達は面白い人ばかりでした。やり方を工夫して自分で学んでいる人が多いですね。今でも話をすることが多いです。

和田)東大は入試問題が難しいうえ、狭き門なだけあって、工夫しないと入れないところがあるわけで、面白い人が集まる傾向はあるかもしれないですね。親教育の話も、親の意識改革をしてもらわないと困ることもいっぱいありますね。苦手をなくすのではなくて、得意を思いっきり伸ばすことで子供の自己評価も上がるわけなんで、別に先生の言うことを鵜呑みにする必要がないことを親が知る必要もありますね。

愛宕)そうですよね。無限の可能性があって、職場でも同じことが言えると思います。

和田)もし学校教育があわなかったとしても、やらなくてもいいよと別の勉強法でちゃんと点を採れたらいいと言える親が子供を育てていかないと…と思いますね。いかに子供が自分で賢いと思わせるかが大事なんですよね。学校が変わるのはむずかしいですからね。経営視点でいうとアフターコロナの世界が、どうなるかわからないですが、全ての国が内向きになると感じています。課題になるのは、これまで外需に頼って多くの人を雇って安いものを大量生産していたところから、内需を頼りに良いものつくって消費を増やしていかないといけないようになると僕は思っているんですよ。そのために賃金を上げていくというのも経営者の課題だと感じていますね。

愛宕)僕もまだまだ全然できていないのですが、一人あたりの売上高を最大化するような経営を考えています。人数がとにかくいて、売上をつくるモデルだと、給料は上げにくいですから。どんなところでビジネスをするかというのも、インターネットのサービスであればデータが資産として残るので、そのデータをもとに、サービスをどう改善するか、次の打ち手を考えていけばいいので。その方がメンバーの年収も上げられるし、場所にとらわれずに価値提供できるところがインターネットのサービスをつくる醍醐味だと感じていますね。

和田)これからの未来、どうやって工夫ができる子供を育てるのか、自己肯定感をどうつくるのか、時間の使い方なども大切になりますね。

愛宕)僕も親になってわからない中で子育てしているので、そのあたり伺いたいです。では、次回また詳しく聞かせてください。今日はありがとうございました!

<次回予告>

未来に活躍するひと!工夫できる子供を育てるには?
〜自己肯定感と時間の使い方〜|和田秀樹先生 対談インタビュー

 

 

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